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異能マスカレイドDW

マヤの記憶

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デビルサマナー 第一章


 テーブルの上に一枚の羊皮紙を広げる。紙の縁は焦げたように黒ずみ、ところどころに茶色いシミが浮かび上がっている。紙自体が時の経過を感じさせるように、黄ばんで乾いた匂いを漂わせていた。私はその紙の前に座り、深く息を吸い込んだ。手元には、鋭利なナイフが蝋燭の火を映してゆらゆらと輝いている。ナイフの刃を慎重に指先に当て、滑らせる。ほんの一瞬、鋭い痛みが走り、次の瞬間には深紅の血がゆっくりと滲み出てきた。私はその血を紙の上に垂らし、指を使って魔法陣を描き始めた――・・・。

* * *


 とくにやりたいことはなかったけれど、どうしても親元から離れたかった私は、就職活動に悪戦苦闘した末、都市部にある、中規模の会社の事務室の椅子に、どうにか滑り込むことができた。でも、そこで待っていたのは、只々無味乾燥な日々だった。

 書類を整理し、データを入力するだけの毎日。同僚たちは楽しそうに会話をしていたが、私は、うまくその輪に入り込むことができなかった。

 ああ・・・、私は、子供の頃からそうだった。私と他人との間には、目には見えないが、強固なガラスの壁のようなものがあり、私には、その壁を壊せないのだ――・・・。

 私は、いつも一人ぼっちで、誰とも打ち解けられず、孤独な時間が流れていく。彼らの笑い声が聞こえてくる度に、心の中に疎外感が広がっていった。

 ある日、上司から厳しい叱責を受けた。ミスをした覚えはなかったが、言い訳をする気力もなく、ただ頭を下げてその場をやり過ごした。上司の言葉が胸に突き刺さり、何度も反芻される。結局、私は職場に馴染めず、退職することに決めた。

 着替えもせず、自室のベッドに転げ込むと、もう、何をする気も起きなかった。すぐに生活は昼夜逆転し、食事もろくに取らず、ゴミの散らかった部屋の中で、虚無感に浸る日々が続いた。窓の外の世界は遠く、私には関係のない場所に思えた。何もかもが無意味に思え、ただ暗闇の中に沈んでいくような感覚だった。

 目減りしていく口座残高に心を焦がされながら、私の中では、職場への恨みや怒りが渦巻いていた。そんな時、ふと目にしたのは、ネット上の黒魔術のサイトだった。

 呪いの方法や、悪魔召喚の儀式について書かれた情報に興味を引かれた私は、はじめは半信半疑だったものの、次第にその世界の魅力に取り憑かれていった。

 ネットの情報だけでは飽き足らず、古い書物や呪具をなけなしの金で収集し、自分なりに様々な儀式を試みた。生ゴミのような腐臭が漂っていた私の部屋は一度きれいに整頓され、代わって床には、手作りの粗末な表紙に古代の模様やシンボルが書かれた本や、赤黒いインクで呪文やらメモの描かれた紙が乱雑に散らばりだした。部屋の中央には大きな木製のテーブルがあり、その上にも本やら呪具が積み上がっていく。蝋燭立てが並べられ、炎が揺らめき、ほのかな光を放っている。テーブルの一角には、黒い布に包まれたお香が置かれ、甘さと苦さが混じり合う、独特の重い匂いが部屋に漂う。私の生活は黒魔術一色になっていった。

 職場のことなど、どうでもよくなっていた。混沌とした怒りの情動がもたらすエネルギーの方向を少し曲げ、猥雑な絵に吐き出し、駄文を添えてネットに流してやれば、多少の金を得られた。人に会う煩わしさも必要もない。この魔術が成功すれば、悪魔が現れて、必ず私を助けてくれる。私はそのことを確信していた。

 その頃の私の悩みと言えば、壁の薄い安アパートの外からたびたび聞こえてくる、工事現場の騒音が気になっていたことくらいだ。

 呪具を並べ、呪文を唱え、儀式を繰り返すことで、自分の中に力が宿る感覚を覚えた。現実の世界から逃れ、魔術の世界に没頭することで、私は初めて自分自身を見つけた気がした。

 ある黄昏時、私はついに悪魔召喚の儀式を行うことにした。テーブルの上に一枚の羊皮紙を広げる。紙の縁は焦げたように黒ずみ、ところどころに茶色いシミが浮かび上がっている。紙自体が時の経過を感じさせるように、黄ばんで乾いた匂いを漂わせていた。私はその紙の前に座り、深く息を吸い込んだ。手元には、鋭利なナイフが蝋燭の火を映してゆらゆらと輝いている。ナイフの刃を慎重に指先に当て、滑らせる。ほんの一瞬、鋭い痛みが走り、次の瞬間には深紅の血がゆっくりと滲み出てきた。私はその血を紙の上に垂らし、指を使って魔法陣を描き始めた。血が足りなくなると、再び指を切る。そのうちに、手首にも傷を作り、痛みを無視して描き続ける。部屋を満たす匂いに鉄の成分が混ざる中、私はその作品の完成に向け、集中力を研ぎ澄ませていく――…。



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デビルサマナー 第二章


 儀式の成功を確信した私は、恍惚に震えた。闇が渦を巻き、空間が歪む感覚の中で、私は新たな力を手に入れたのだと思った。

 突然、魔法陣の上に、小悪魔が現れた。・・・金髪の、頭部がやたら大きな、女の子のような姿をした生物。黒いローブを身にまとい、背中に生えた羽を動かして浮遊するその姿から、私はとりあえず、これを小悪魔と呼ぶことにした。

 小悪魔は、宙を滑るように近づいてきて、私の顔をじろじろと見た後、げんなりとした表情を浮かべた。

「アンタみたいな、陰気な女と契約するなんて、嫌だ!」

「たしかに、アルカナの力は感じるけど・・・」

「あたしの魔王サマは、もっと見るからに強そうな、ムッキムキの筋肉マンがいいんだ!」

 魔法陣の上で、ゴロゴロと転がりながら、筋肉筋肉と駄々をこね出した小悪魔に辟易した私は、窓の外、遠くに見える、建設中の高架道路を指差した。夕暮れの空の下、やかましい工事の作業音が鳴り響いていた。

「そんなに筋肉マンが好きなら、あの辺にいるんじゃない?」

「そうだねっ!」

 小悪魔は、元気よく、窓から飛び出していった・・・。

 その翌日、ある工事現場で発生した凄惨な大量殺人事件のニュースが、全国を震撼させることになる。

 しかし、ニュースを見ない私には、どうでもいいことだった。私の関心はただ一つ、次なる召喚に向けての準備だった。

 あの小悪魔に落胆した私は、さらに黒魔術の研究に没頭していった。悪魔に関する書物を漁り、独自の儀式を考案し、日々を魔術に捧げた。

 私は確信していた。私はきっと、この闇の道の先に、新たな光を見つけるのだ。自分だけの理想の悪魔が現れて、私を救ってくれるのだ――・・・。そのためならば、どれだけの時間を費やしても構わないと思った。

 暗闇の中で孤独を抱えながら、私は、次なる儀式の準備を続けた。蝋燭の炎が揺れる部屋の中で、呪文を一つ一つ確認し、魔法陣を何度も描き直した。私の手は血で汚れ、体は疲れ果てていたが、心の中には奇妙な充実感が広がっていた。

 魔法陣から溢れる闇の力が、新たな悪魔との逢瀬を予感させる――・・・。

* * *


 魔法陣の中央に黒いシルエットが浮かび上がった。シルエットは徐々に色を帯び、見上げるような人狼の姿が現れつつあった。しかし、その姿は一瞬で蒸発し、何も残らなかった。

「失敗した・・・?」

 私は戸惑いとともに呟いた。

 その時、部屋の窓が急に開き、風が吹き込んだ。何かが勢いよく飛び込んでくる。

「ふー! 間に合った! ちょっと君、そう勝手に召喚なんてしてもらっちゃ困るよ!」

 銀色の猫が、透明の4枚羽をゆったりと動かして、浮かんでいた。

 猫のような生物。フサフサの4本のしっぽが生えており、その瞳は、金色と水色のオッドアイ。金色の側の目は、同じく金色の仮面で縁取られている。その姿からは、悪魔らしい禍々しさは感じられず、猫型の妖精という印象を受けた。私はとりあえず、猫妖精と呼ぶことにした。

 猫妖精は、身長よりも長い杖を持っており、その先端に嵌められた赤く大きな宝石からは、何らかの強力な力が発動されたような残り香を感じた。

「君さ、ニュースとか見る? 前に君が召喚した悪魔が、ニンゲンの男と手を組んで、大変なことになってるんだよ!」

 猫妖精はそう言いながら、私の周囲を飛び回り始めた。

「さっき君が召喚しようとした奴は、悪いけど消させてもらった。さすがにこれ以上は見過ごせないからね」

「この場所を突き止めるだけでも大変だったんだから、もう余計な事はしないでほしいなあ」

 猫妖精は私の顔の近くまで飛んできて、金色の側の目でじっと私を見つめた。

「ふーん? 君、すごいね。元々はきっと、障壁のアルカナを持っていたんだろうけど…最近、能力が変異したみたいだ。」

 障壁のアルカナ? 能力の変異?

「あ、そうだ。君のことは、連れていくよ。悪いけど、もうこの部屋には戻れないからね。君みたいのを、放っておくわけにはいかないんだ」

「抵抗したら、さっきの人狼みたいに消しちゃうからね。大人しくしてね?」

 猫妖精の言葉に、私は自分の召喚した悪魔が一瞬で消し飛ばされたのを思い出し、下手な抵抗はできないと悟った。それに、この妖精が私をどこに連れて行ってくれるのか、興味が湧いてきた。とっくに人間社会から興味を失っていた私は、むしろワクワクしはじめていた。

「わかった。従うわ。で、私を、どこに連れて行ってくれるの?」

 猫妖精はニヤリと笑い、杖を一振りした。

「それは着いてからのお楽しみさ。さあ、行こう!」

 そして、猫妖精に導かれるまま、私は新たな運命の道へと歩み出した。



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デビルサマナー 第三章


 目隠しをされたまま、おそらく車に乗せられた私は、しばらく移動した後に車を降ろされ、金属を叩くような足音がよく響く、狭い空間を歩かされた。

 冷たい床の感触と、遠くから聞こえる機械の音が、否応なく私の緊張感を高める。猫妖精の小さな羽音が私の耳元でささやくように聞こえ、彼が常に近くにいることを感じ取った。

 電子音とともに、エレベーターのドアが開くような音がし、私は背中を軽く押された。数歩進むと、背後でドアが閉まる音がした。しばらくの間、下降する感覚が続く。

 その沈黙の中で、猫妖精が小さく息をついた。

「悪いね。本来はもっとスマートに移動させてあげられるんだけど」

 軽い調子だった。

「今回は緊急事態でさ。準備ができてなかったんだ」

 少し間を置いて、続ける。

「まあ……君みたいなのには、これくらいでいいよね」

 電子音が鳴り、ドアが開く音がした。

 足音が石板を叩くような音に変わった通路を、もうしばらく歩かされ、さらに薄い絨毯を踏むような感触に変わったところで、目隠しが外された。

 私は、急に明るくなった視界に目を細めつつ、周囲を見まわした。

 そこは、8畳ほどの広さの白い部屋で、壁際にセミダブルのベッドがあり、その脇には小さな机とタブレットのようなものが置かれていた。壁には、おそらく洗面所につながるであろう、スライド式のドアが見えた。部屋の中央には何もなく、シンプルな造りだ。しかし、何よりも目を引いたのが、部屋の奥の天井から吊り下げられた、巨大なモニターだった。

「今日からここが、君の部屋だよ!」

 と猫妖精が明るい声で言った。

「今は最低限のものしかないから、必要なものがあれば、そこのタブレットに入力してね! 銃とか、おかしなものはダメだけどね!」

 彼の言葉に少し安堵しながらも、私はまだ状況を完全には理解できていなかった。

「あ、とりあえずそこのベッドにでも座って? ちゃんと説明するから」

 私は猫妖精に促されるまま、ベッドに腰掛けた。あとで椅子と机くらい、頼んだ方が良さそうだ。あと、ゴミ箱とか、色々・・・。

「何はともあれ、まずはあのモニターを見てくれる? それが一番手っ取り早いから」

 猫妖精の指示に従い、私はモニターに視線を向けた。モニターが回り、見やすい角度になると、部屋が暗くなり、映像が映し出された。

 画面には、亜熱帯の無人島のような風景が映し出された。夜間だがライトアップされ、映像ははっきりと見える。

 淡く金色に光る白い羽根がいくつも取り付けられた、白い光沢を放つ浮遊台座が空中に滑り出る。羽根は機械仕掛けのように規則的に羽ばたいていたが、空中に浮かぶその姿は、まるで空気に溶け込むように滑らかだった。あれは――人間の技術ではない。異世界の何かが、そこにあった。

 その台座の上に立っていたのは、どこかショーガールを思わせる艶やかな姿の女性。赤紫のドレス風トップスが肩を大胆に露出し、編み上げの黒いコルセットが腰のラインを強調している。脚にはぴたりと張り付いたハイソックスとヒール付きのブーツ。顔には装飾的な仮面をつけ、大ぶりの花飾りが髪に揺れていた。

 明らかに観客の目を意識したような、けばけばしくも印象的な装いだった。

 陽気そうなその女性は、派手な化粧と笑みを浮かべながら、マイクをまるで念力で操るかのように宙に浮かせ、くるくると回して見せる。そして、勢いよく息を吸い込むと――弾けるような声で叫んだ。

「やっほー、画面の前のみんなーっ! 待った? 待ったよね!? それじゃあ今夜も開幕だッ! 狂気と興奮のショータイムッ!!」

「ルールは超シンプル! バトロワ形式で、最後に立ってたもん勝ち! ここにいる奴らは全員敵! 親友だろうが恋人だろうが関係なしッ! 使えるもんは歯でも拳でも異能でも、何でもアリッ!!」

両手を高く広げ、夜空を指さす。

「さあさあ、この満天の星空の下! ――狂逸のマスカレイド、開宴っ!! 戦え異能者たち! 己の欲望と生き様と、魂をさらけ出せええっ!!」

 その声が夜空にこだまし、静寂に包まれていた無人島の空気が、一変した。

 映像が切り替わり、無人島のあちこちに配置された5人の人間たちの様子が、次々に映し出される。年齢も性別もバラバラで、服装にも統一感はない。共通点として、全員が、それぞれ違った仮面をかぶり、顔を隠している。

「みんな、君みたいに、アルカナ持ちだよ。アルカナって言うのはね――・・・」

「ちょっと黙ってて!」

 私は猫妖精の言葉を遮る。

 映像が寄り、カメラは二人の異能者を捉えた。

 一人は、額に赤い逆三角形のペイントが施された、黒い目出し帽をかぶった筋骨隆々の男。全身が筋肉で膨れ上がり、丸太のような腕は動くだけで皮膚の下の筋繊維がうねる。まるで戦うためだけに設計されたような、威圧感そのものの肉体だった。

 相手は、その半分もない背丈の、小柄な少女。口元はシンプルな黒いマスクで覆われていたが、その眼差しは異様なほど静かで、冷めきっていた。

 巨漢は、笑っていた。余裕の笑み。ただ腕を組み、子どもを見るような目をして――だが、ゆっくりと腕を解き、動き出そうととしたその刹那、少女が静かに地面を蹴った。ふわりと跳び上がると、迷いなく巨漢の胸元に手を伸ばし、心臓のあたりに触れる。

 そして――巨漢は、まるで糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。うつ伏せに倒れ、二度と動かなかった。

 私は理解し始めていた。これは、ただの戦いじゃない。超常的な"異能"のぶつかり合い。それを、映像で見世物にしているのだ――。

 画面はテンポよく切り替わる。

 さっきの少女が、視界の外から飛来した銀色のナイフに、腹部を背中から貫かれる。ナイフは、空中を蛇のようにうねりながら、不規則な軌道で少女に向かっていた。刺した女は、全身を黒で統一し、目元だけを覆うシンプルな白面をつけた細身の姿。仮面の下の素顔は見えないが、口元には冷たい笑みが浮かんでいた。

 だが次の瞬間、ジャングルの奥から突風が吹き荒れる。バナナやヤシの葉をかき分けるその風は、瞬く間に無数の透明な刃となって、女の顔面へと殺到する。彼女は咄嗟に腕をかざしたが、防ぎきれず――仮面ごと顔面を斬り裂かれた。

 カメラが切り替わり、葉陰に身を潜めていた一人の男を映し出す。天狗面をつけた風使いだった。

 しかしその直後、映像の片隅で何かが月光を反射した。パン、と一つ、乾いた銃声。男は何の反応も見せないまま、ゆっくりと前のめりに崩れ落ち、天狗面が地面に転がった。

 そして、画面がズームする。

 月明かりを背に、ピンク色のふわふわした長髪で、顔に分厚いゴーグルを着けた女性が立っていた。少女のような可憐さと、兵士のような無機質さをあわせ持つ異様な存在だった。

「勝負ありだね!またあいつかぁ。あのニンゲンさ、ちょっと勝ちすぎなんだよね。」

 猫妖精は、眉をひそめながら、不満そうに言った。映像が途切れ、部屋に光が戻る。

「大体わかったでしょ? これは、異能の力を持ったニンゲンたちを殺し合わせる、闇の興行だよ。」

 猫妖精は続けた。

「異能マスカレイド。僕らの女王様は戦いを見るのが大好きでね。ニンゲンの中の偉い奴らと一緒になって、始めたんだ。」

「それで、私にも、あれに出ろっていうことかしら?」

 私は静かに尋ねた。

「ま、そういうことだよ! 君の召喚能力って、メチャクチャレアだから。きっと、いい戦いをすると思うんだよねー。」

 猫妖精は楽しげに言った。

 私は思った。私みたいなのが、あんな戦いについていける気がしない。これは、ただの処刑だ。私は、殺される・・・。

「で、これに出ると、私になにか、見返りはあるわけ?」

 私は内心の恐怖と苛立ちを抑えながら聞いた。

「もちろん! 優勝者には、僕ら妖精界の、すっごい効果を持った不思議アイテムをプレゼントだよ! それにお金だって、変な贅沢をしなきゃ、一生遊んで暮らせるくらいはもらえるし。」

「そういう噂を、こっそりと流してるから、僕が勧誘しなくても、自力で見つけて参加を希望してくる異能者もいるくらいだよ!」

「ちなみに、一回でも生き残ることができれば、帰れるよ。ここでのことは、秘密にしてもらうけどね。」

 アイテムとやらはわからないけれど、そんなにお金がもらえるなら、悪くもないか・・・。

「どうせ逃げられないんでしょ? でも私、正直あんな戦いで生き残るなんて、自信ないんだけど・・・?」

 隠してもしょうがないので、正直に言った。

「まぁそりゃ、今のままじゃ、死んじゃうだろうね!」

「だから・・・、3か月くらい時間をあげるから、君の異能をもっとうまく使えるように、死ぬ気で頑張ってね!」

 軽い調子でそんなことを言う猫妖精に、私は顔をしかめる。

「ん?なんだか君、不満がありそうな顔してるけど・・・」

 猫妖精は、杖の先端を私にずいっと突き付けた。

「128人。」

「これ、なんの数字だかわかる? 君が召喚した悪魔が引き起こした事件で、今日までに死んだニンゲンの数だよ。」

「そう楽に、救いの道があるとは思わないでよね。」

「君はもう、立派な殺人鬼なんだから。」



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デビルサマナー 第四章


 修行と呼べるものが始まったのは、白い部屋に閉じ込められてから、少し経ってからだった。

 最初にやったことは、かつて自分の部屋で何度も繰り返していた黒魔術の再現だった。羊皮紙、刃物、血、円と記号。猫妖精にタブレットで要求すれば、必要な道具は驚くほど正確な形で揃えられた。質も、保存状態も、私が素人仕事で集めていたものとは比べものにならない。条件だけを見れば、以前よりずっと恵まれているはずだった。

 それでも、時間はかかった。魔法陣を描き、血を垂らし、意識を集中させる。成功することもあれば、何も起きないこともある。出てきても不完全で、形が歪んでいたり、反応が鈍かったりする。喚び出しては消え、消しては喚び出す。その繰り返しの中で、何度か気を失い、床に座り込むこともあった。

 同じことを何度も繰り返すうちに、ふとした違和感が生まれた。円を描く手が、邪魔に思えたのだ。記号をなぞる指先よりも、その奥にある感覚の方が、ずっと重要な気がした。

 試しに、魔法陣を描かずにやってみた。指先を切り、床に血を落とし、意識を向ける。しばらく何も起きなかったが、やがて空気が沈み、床に落ちた影が、ゆっくりと形を持ち始めた。

 出てきたものを見たとき、私は少しだけ笑った。やはり、儀式は本質じゃない。あれは補助だ。集中するための型にすぎない。猫妖精も、特に驚いた様子は見せなかった。ただ、面白そうにこちらを見ていただけだ。

 それからは、血だけを使うようになった。魔法陣も呪文も省き、血を落とし、意識を沈める。成功率は安定し、呼び出しにかかる時間も短くなった。失神することも減り、戻すタイミングも自分で調整できるようになる。繰り返すうちに、それが特別なことではなくなっていった。

 さらに時間が経った頃、私は血すら使わずに試した。足元に伸びた自分の影に意識を向ける。照明に引き伸ばされた輪郭が、わずかに遅れて揺れる。そのズレを掴むように引き上げると、影の中から、それが現れた。

 私は、それを一体維持したまま、もう一体を呼んだ。影が二つに分かれ、床の上で形を成す。意識が少しだけ重くなるが、崩れるほどではない。二体までなら、問題なく制御できる。三体目に手を伸ばした瞬間、頭の奥が軋み、無理だと理解した。

 二体を維持したまま立っていても、呼吸は乱れなかった。意識が多少重くなるだけで、恐怖はない。むしろ、自分の内側が整理されていくような感覚があった。

 人を相手にするより、ずっと簡単だと思った。命令すれば動き、不要になれば消える。期待も失望もない。ただ結果だけが残る。

 私は、その事実を淡々と受け入れていた。これができるなら、生き残れる。そう確信したことに、躊躇いはなかった。

 能力が安定したころ、私は、猫妖精に言われるがまま、異能マスカレイドに参加した。

 実戦は、修行よりもずっと分かりやすかった。私が喚び出した者たちが敵を屠り、人が壊れていく。その様子を眺めていることは、想像していた以上に快かった。社会の中で、何ひとつ思い通りにならなかった頃の鬱屈が、他人の破壊と引き換えに、静かにほどけていくのを感じていた。

 モニター越しに見ている観客たちは、私を "傍観の魔王" と呼んでいるらしい。言い得て妙だと思った。私は前に出なくていい。触れなくていい。他人が壊れていく様子を、遠くから見ていればいい。――その名が定着するきっかけになった試合を、私は覚えている。

* * *


 薄緑色の霧が漂う、天井の高い、巨大な廃工場。

 その中央に立つ私は、黒いネグリジェのままだった。意味はない。ただの寝間着だ。着替えるのが面倒くさかっただけだった。

 顔には、仮面代わりの布をつけている。黒子が使うものに似た、半透明で柔らかい生地だ。ネグリジェと同じ質感で、顔の輪郭だけをぼんやりと覆っている。表情は隠せるし、硬い仮面みたいなわずらわしさもないから、私は気に入っていた。

 廃工場の上空で、空気がわずかに歪んだ。

 淡く金色に光る白い羽根をいくつも備えた浮遊台座が、音もなく滑り込んでくる。羽根は規則正しく羽ばたきながら、工場の中央上空で静止した。その上に立っているのは、派手な装飾を施した女だ。赤紫のドレス風トップスに、編み上げのコルセット。顔には装飾的な仮面。場違いなくらい華美な姿で、彼女は宙に浮かぶマイクを軽く弾いた。

「やっホー! 画面ノ前ノみんなーっ! 待った? 待ったよね!?」

 甲高い声が、天井の鉄骨に反響する。観客はここにはいない。けれど、確実に "向こう側" で見られている。私はそのことを知っていた。

「それじゃあ今夜もいっちゃオう! 狂気と興奮ノ、ショータイムッ!!」

 女は両手を広げ、錆びたクレーンや崩れかけた足場を指し示す。

「ルールは超シンプル! バトロワ形式で、最後に立ってたモん勝ち! ここにいる奴らは全員敵! 使えるモんは歯でも拳でも異能でも、何でもアリッ!!」

 その言葉を合図に、霧の中に点在していた投光器が一斉に灯った。白い光が床を走り、鉄骨の影が長く伸びる。舞台装置が完成していくのを、私はぼんやりと眺めていた。

 光に照らされて、二つの人影がはっきりと浮かび上がる。

 一人は、防護面の男だった。溶接用のような角ばった面で顔を覆い、厚手のジャケットの下には防刃ベスト。肘や膝にもプロテクターをつけている。装備は実用一点張りで、無駄がない。立ち方も重心も、戦うことに慣れている人間のそれだった。

 もう一人は、歪んだ仮面の女。左右非対称の奇妙な仮面が、顔の印象を不安定にしている。服装は軽く、動きやすさを優先しているように見えた。視線が落ち着いていて、周囲を素早く確認している。逃げ道と、使えそうなものを探しているのだろう。

 どちらも、私のほうを一度だけ見た。

 すぐに、視線を逸らした。

「さあさあ! こノ朽ちた工場ノど真ん中で!――狂逸ノマスカレイド、開宴っ!!」

 女は楽しげに叫び、マイクを高く掲げる。

「――イッツ・ショウタイム!!」

 その瞬間、私は一歩だけ後ろに下がった。ネグリジェの裾が、霧をかすめる。私は前に出ない。ここから先は、私の出番じゃない。

 足元の影に、意識を沈めた。空気が、静かに沈む。

 影が床から剥がれるように立ち上がり、痩せた男の人型を成す。細長い手足に、木製の仮面、有毒の液体に濡れて濁った穂先の槍。ボロ切れのような青いマントが霧の流れとともにたなびく。続けて、もう一体。二メートルを悠に超えるような大柄な女。頭部には山羊のような角、腰には蝙蝠のような小さな羽を持ち、人差し指の先には淡い桃色の光を宿している。ドレッドスピアーに、サキュバス――猫妖精は、これらをそう呼称していた。

 二体の悪魔を喚び出した私は少し距離を取り、それからの光景を見ていた。

* * *


 二体の悪魔が前へ出る。

 角ばった防護面の男が床を強く蹴り、距離を詰める。両腕を突き出すと、青白い光の壁が立ち上がった。平面に近いそれは、わずかに揺らぎながら、前方を塞ぐ。

 ドレッドスピアーが、その壁に向けてためらいなく槍を突き出す。穂先が光の壁にぶつかり、鈍い衝撃音が工場内に響いた。その攻撃は阻まれたが、男の身体は後ろへとのけぞった。完全には受け止めきれていないようだ。

 歯を食いしばってその場に踏みとどまった男の手が、じわじわと色を変えていく。光の壁に照らされた反射の色とは異なる、濁った色合いが、手首のあたりから広がっている。

 槍の穂先が、わずかに光の壁を突き抜けたのだろう。それだけで十分だった。ドレッドスピアーの毒が、確実に男を蝕んでいく。男はそれでも光の壁を張り続けていたが、動きは確実に鈍っていた。

 その背後で歪んだ仮面の女が動いているようだ。遠すぎて霧に紛れ、何をしているのかはよく見えないが、ダンボールを蹴り飛ばすような音が聞こえた。男が耐えている隙に、その辺に落ちている使えそうなものをかき集めているのだろう。

 女が何かを拾って立ち上がる。その瞬間だった。

 景色が、揺らいだ。

 女を中心に、工場の床が波打つようにうねり、壁の位置がわずかにずれる。ドレッドスピアーとサキュバスが、一瞬だけ動きを止める。目に映る床の高さと、立っている位置が噛み合っていない。周囲には、さっきまでなかったはずの壁や障害物が現れていた。

 銃声が響いた。乾いた音と同時に、サキュバスの肩口に火花が散る。続けて二発、三発。先ほど突然現れた壁に遮られて射線が通らないはずの位置から放たれた弾丸が、確実にサキュバスの肉を削っていた。

 サキュバスもまた、指先から桃色の光弾を飛ばして応戦するが、そちらは壁に当たり、消えた。あるはずの壁と、ないはずの壁が、食い違っている。幻の物体と、本物の物体、区別のつかないそれらを生み出して撹乱する、そんな能力だろうか。

 その間も、前線は崩れていなかった。防護面の男は片膝をつきながら、青白く発光する壁を正面に張り付かせている。壁は何度も槍の衝撃を受け、そのたびに淡く揺れた。壁を支える腕はすっかり変色して震え、呼吸は荒い。それでも、男は立ち続けていた。

 再び、銃声。サキュバスの胴体に、深く撃ち込まれる。大きな身体がよろめき、後ずさった。その瞬間、防護面の男の構えが、ほんの一瞬だけ緩んだ。

 ――何あれ。勝った、とか思ってそう。調子に乗りやがって、冗談じゃない。

 サキュバスが、よろめきながらも両腕を前に突き出す。肘を引き、肩を落とし、両手の人差し指を揃える。明らかに、これまでとは違う構え。

 そう、サキュバス、あんたの力はこんなもんじゃないでしょう。さっさとそいつらを殺しなさい。

 サキュバスの指先に集まった光は、輪郭を持たない。脈を打つように揺れ、空間そのものを歪ませながら、そこに留まっている。次の瞬間、その光が放たれた。

 空気を引きずるような曖昧な印象を残しながら突き進み、遮るはずの壁も壊さず――すり抜けていく。そして、銃を構えていた、歪んだ仮面の女の身体に、触れた。

 触れた瞬間、何かが剥がれ落ちた。

 女の周囲に広がっていた違和感が、細い糸のように引き抜かれていく。波打っていた床が静まり、ずれていた壁が、本来の位置へと戻っていった。工場の景色が、急速に整っていく。

 同時に、女の身体から、淡い光の塊が引き離された。それは撃ち込まれた光弾の軌道をなぞるように反転し、サキュバスのもとへと戻っていく。

 サキュバスは口を開き、戻ってきた光を、そのまま飲み込んだ。

 次の瞬間、その身体が大きく脈打った。撃たれた傷が塞がり、筋肉の輪郭が際立つ。腰の小さな羽が、はっきりとした形を持って広がった。

 直後に指先から放たれた光弾は、これまでとは比べものにならなかった。

 片膝をつきながらも銃を構えていた、歪んだ仮面の女は、反応できなかった。射線を隠す幻の障害物は、すでにない。光弾が直撃し、身体が後方へ弾き飛ばされる。床に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。

 その光景を見た瞬間、防護面の男の力が抜けた。変色し切った腕が崩れ、正面に張り付いていた青白い壁が、音もなく消える。

 ドレッドスピアーの槍が、最後に一度だけ振るわれた。男の身体が床に倒れ、動かなくなる。

 工場内に、動く人影はなくなった。

 ――終わった。

 私は、その場に立ったまま、何もせずにそれを見ていた。



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デビルサマナー 第五章


 その後も、似たような試合がいくつか続いた。

 場所と相手が変わるだけで、やることは同じだった。開始の合図のあと、私は少しだけ後ろに下がる。影から二体を引き上げて、あとは任せる。それで終わる。

 最初は、人が壊れていく過程を、ただの現象として眺めているだけだった。けれど回数を重ねるうちに、心地よさが混じるようになった。

 帰ろうと思えば、帰れたのかもしれない。猫妖精は、一度生き残れば帰れると言っていた。

 けれど、気づけば私は、次の試合を断らなくなっていた。大体、帰ったところで何になる。またあの、つまらない世界に戻るだけだ。

 その日も、同じように始まり、同じように終わるはずだった。

* * *


「さあさあ、画面ノ前ノみんなーっ! おまたせぇー!」

 もはや見慣れた、薄緑色の霧が漂う、巨大な廃工場。空中に浮かぶ白い浮遊台座から、こちらも聴き慣れた、ショーガールの声が降ってくる。高くてよく通るが、どこかイントネーションのズレた声。けばけばしい衣装も、いつも通りだ。

「今日ノ挑戦者は、こちらのペア!」

 派手な身振りで、私の視界に映る、2人の人影を指差す。距離は十数メートルってところか。霧でぼやけているが、大体の雰囲気はわかる。

「片方は、何を考えてるかわからない女ノ子! もう片方は、やる気まンまンの少年クン!」

 このショーガール、なんだか以前よりも雑になってきた気がする。動きも少し機械的だし。

「さあ、二人とモ! 触れず、近づかず、それでも全部終わらせる――静かすぎる怪物、"傍観の魔王"! 今夜の主役に、喧嘩売る覚悟はあるかあー!?」

 おそらくは高校生か? 制服を着た少年少女に見える。二人は何やら言い合っているようだが、内容までは聞こえない。何かの作戦会議かもしれないけれど、まあ、些細なことだろう。

「――イッツ・ショウタイム!!」

 照明が一斉に落ち、次の瞬間、工場全体が白く照らし出された。

 私のやることは、いつもと同じだ。一歩後ろに下がりつつ、影の中から悪魔を2体喚び出す。それだけで――

 パァン!

 ――は?

 い

 痛い! 痛い! 痛い!

 予期せぬ破裂音と同時に、右の太腿を激痛が駆け抜け、片膝をつく。

 なんだ? 何があった? 何をされた?

 歯を食いしばって目を凝らすと、少年の手には拳銃が握られていた。

 なんで? まだ始まったばっかだろ! 武器の持ち込みなんてルールにないだろうが! あのクソ猫が何か優遇しやがったのか? ふざけやがってふざけやがって。やばい、またすぐ次来るだろこれ。逃げなきゃ――!

 なりふり構わず横に転がると、新たな破裂音が床を叩く。私は無様に転がりながらも悪魔どもを召喚する。血と混ざり粘ついた染みのように広がる影から、サキュバスとドレッドスピアーが這い出てきた。

* * *


 とにかく薬だ。薬。私はまだ使ったことがないけれど、どっかの段ボール箱に、緑色の薬が隠されているはずだ。それを使って傷を治している奴を見たことがある。

 クソガキどもの相手は悪魔どもがなんとかするだろう。私はろくに動かなくなった足を引き摺りながら、両手と片足を使って暗がりを這い回る。

 なんで、私がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。

 鉄骨の陰に身体を押し込みながら、荒い息を吐く。足を動かすたびに焼けるような痛みが走り、血が床に垂れ続ける。クソ。クソクソクソ。あのガキども、殺す。絶対に殺す。

 そもそも、私は何も悪いことなんてしてないだろ。

 勝手に私を社会から弾き出したのはあいつらだ。職場でも、学校でも、どこでもそうだった。誰も私を受け入れない。勝手に気味悪がって、勝手に距離を取って、それで私が一人になったら、今度は暗いだの怖いだの、こっちが悪いみたいなことを言い出す。だったらもう、人間なんかに期待しない方がマシじゃないか。

 だから私は悪魔を頼った。それの何が悪い。

 命令すれば動くし、裏切らないし、変な顔もしない。人間なんかより、ずっと扱いやすい。少なくとも、あのガキみたいに、いきなり銃を撃ってきたりはしない。

 息を吸う。肺の奥が熱い。

 ……いや、撃ってきたのはあのガキだけじゃない。

 あの猫だ。

 最初から、こうするつもりだったんだ。

 128人? 知らない。そんなの、私が知ったことか。勝手に人を殺したのは、あの小悪魔だろ。私は知らなかった。止めようもなかった。なのに、全部私のせいみたいな顔をして、偉そうに説教までして、こんなところに放り込んだ。

 異能マスカレイドだか何だか知らないけど、どうせ最初から見世物だ。死ぬところを見て笑いたかっただけだろ。あのクソ猫、最初から私を殺すつもりだったんだ。

 床に血が広がる。

 視界が少し霞む。

 やばい。思ったより血が出てる。

 くそ、薬。早く見つけないと、本当に死ぬ。私は歯を食いしばり、痛む足を引き摺りながら、暗がりの奥へと這い進んだ。

* * *


 やっと見つけた。薬だ。

 けれど色が違う。ガラスの小瓶の中の液体は、鮮やかな水色をしていた。まあこの際どうでもいい。こいつを使ってやる。

 使い方もよくわからないが、とにかく私は小瓶の蓋をネジ開けると、血でぐちゃぐちゃになった太腿の傷へ、その液体を乱雑に振りかけた。

 頭が冴えてきた。

 ……いや、こんなのどうでもいいだろ。血が止まらないじゃないか。

 けれど、なぜか気力は少し回復した感じがある。そこでようやく気づいた。

 ああそうだ。パニックしてて忘れていた。まず止血しないと。

 私はネグリジェの裾を乱暴に裂くと、太腿へ強く縛りつけた。

 遠くからは、まだ戦いの音が聞こえている。悪魔ども、何をちんたらやっているんだ。よし、もう一体、引っ張り出してやるか。

 私は床へ片手をつくと、暗がりの奥へ意識を沈める。影の深さを探り、形を選び、無駄なものを避けながら引き上げる。

 とにかく、前に出して暴れさせるものが必要だった。

 影が広がる。

 黒い染みのようなそれが床を這い、周囲の瓦礫を飲み込みながら膨らんでいく。重い。いつもよりずっと重い。まるで底の方で何かが引っ掛かっているみたいに、うまく浮かび上がってこない。

 くそ、早くしろ。

 私は無理やりそれを引きずり上げた。

 次の瞬間、影が爆ぜる。

 巨大な腕が、最初に現れた。黒い体毛に覆われた腕。鋭い鉤爪が床を叩き、コンクリートを砕く。続いて、獣のように長い鼻面が暗がりから突き出される。

 低い唸り声。

 大きい。人間の倍近い身長。薄茶色の体毛に覆われた、岩みたいな肩と胸。その背では、白いマントがゆっくり揺れている。両腕の前腕には分厚い金属の手甲がはめられており、そこから湾曲した刃が二本ずつ伸びていた。

 影の中から這い出てきたそれは、半ば獣、半ば人間のような異形だった。巨体が床を踏みしめ、赤く光る眼がゆっくりと周囲を見回す。

 狼男。そう呼ぶのがしっくり来る。けれどきっと、ただの狼男じゃない。

 強そうだ。

 ならそれでいい。

 狼男は鼻を鳴らすと、次の瞬間には床を蹴り、轟音とともに暗闇の向こうへ駆け出していった。



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デビルサマナー 第六章(完)


 遠くから、何かが崩れるような轟音が響く。続けて金属音。床まで揺れている。狼男が暴れているんだろう。

 遅い。

 何をやってるんだ、あいつら。

 強そうだから出したのに、まだ終わってないのか。サキュバスもドレッドスピアーも、まとめて役立たずじゃないか。

 適当に止血したとはいえ、右の太腿からはまだ血が染み出している。早いとこ治さないと、どっちにしろ終わりだ。

 私は壁へ身体を預けながら、荒く息を吐き、足を庇いながらも薬を探す。目についた段ボール箱は片っ端から叩き飛ばしたが、見つかったのは、投げるためっぽい小さなナイフや、くの字に曲がった変な金属片。目的の薬はちっとも見つからない。

 まずい。頭がぼやけてきている。このままじゃ、本当に死ぬ。

 その時だった。

 少し先の鉄骨の陰に、緑色の小瓶が転がっているのが見えた。

 ……は?

 私は目を細める。

 さっき、そこも見たはずだ。段ボール箱があったから、叩き飛ばした。何もなかった。

 けれど今は、確かにそこにある。

 ……まあいい。ぼーっとして見落としてたんだろ。

 私はほとんど飛びつくように、小瓶を掴む。

 今度こそ当たりであってくれ。

 私は祈るような気持ちで蓋を開けると、中の液体を太腿へ振りかけた。

 熱。

 次の瞬間、傷口の奥で肉が蠢いた。裂けていた感覚が、内側から無理やり押し戻されていく。焼けるような痛み。けれど、血が止まる。ぐちゃぐちゃになっていた肉が、目に見えて閉じていく。

 治ってる。

 私はしばらく、その場に座り込んだまま息を吐いた。まだ痛む。けれど、さっきまでとは全然違う。頭の霞みも薄れてきている。

 助かった。

 本当に、助かった。

 笑いが漏れそうになるのを堪えながら、私は壁へ手をついて立ち上がる。右足はまだ完全じゃないが、歩ける。さっきみたいに這い回る必要はもうなかった。

 気分が軽くなった私は、再び周囲を漁り始める。段ボール箱を蹴り飛ばし、棚の中身を引っ掻き回し、使えそうなものを探す。

 その時、倒れた金属棚の隙間に、黒い塊のようなものが引っかかっているのが見えた。

 拳銃だ。

 はは。ツイてきた。あのガキも使ってたんだ。私がこれを使って、何が悪い。

 私は拳銃を拾い上げる。ずしりと重い。けれど、不思議と恐怖はなかった。むしろ、妙にしっくり来る。

 引き金に指をかける。少しだけ、笑みが浮かんだ。

 異能マスカレイド。なかなか楽しめたが、さすがに今回はやばかったし、これで終わりにしよう。きっと報酬も貯まってるはずだ。ここを出たら、その金で何をしようか。もう、働かなくてもいいかもしれない。

 私は拳銃を弄びながら、戦いの音が聞こえる方向へと歩いていく。さっきよりも音が減っている。そろそろ片付くのかもしれない。この拳銃、出番ないかもな。

 コンテナに半身を隠し、様子を伺う。目についたのは、でかい死体と、痩せた死体。そして――

 おいおい!負けてるじゃんか!

 なぜか髪が桃色に変わっているサキュバスのやつが、少年の手にした刀で、今まさに、胴を真っ二つに断たれる場面だった。

 狼男にドレッドスピアー、サキュバス。みんな負けやがった。

 けれど、戦果がなかった訳ではなさそうだ。私から見て少し斜め前、少年の数メートル後方に、少女の方が、負傷したのか、座り込んでいる。その横顔は、意識が朦朧とした様子だった。

 こうなったらもう、私がやるしかない。

 私はコンテナの陰へ身体を寄せたまま、拳銃を構える。震えるな。距離は大したことない。座り込んでるだけだ。外す方が難しい。

 少女の胸部に照準を合わせ、引き金を引いた。

 乾いた破裂音。

 少女の身体が揺れる。胸元に赤黒い染みが広がり、そのまま前へと倒れ込んだ。

 よし。

 私は思わず口元を歪める。

 その瞬間だった。少年が、こちらを振り向いた。

 空気が変わる。さっきサキュバスを斬っていた時とは違う。あの時よりも、ずっと静かで、ずっと危ない。

 まずい。

 私は反射的に、もう一度引き金を引く。

 銃声。

 弾は少年の肩口を撃ち抜いた。制服が裂け、血が飛ぶ。けれど、少年は止まらない。

 は?

 さらに撃つ。

 腹。

 胸。

 もう一発。

 確かに当たっている。肉が裂け、血が飛び散っている。なのに、倒れない。傷口が、ありえない速度で閉じていく。

 なんだそれ。

 なんだよそれ!

 私は半ば悲鳴みたいな声を漏らしながら、引き金を引き続ける。

 撃つ。

 撃つ。

 撃つ。

 薬莢が跳ねる。

 耳の奥が痛い。

 少年は止まらない。

 ゆっくりと、真っ直ぐこちらへ歩いてくる。

 やばい。

 やばいやばいやばい。

 私は後ずさる。引き金を引く。乾いた音だけが返ってきた。

 弾切れ。

 少年の姿が消えたと思った時には、もう目の前だった。

 理解するより先に、拳が顔面へ叩き込まれる。

 視界が白く弾けた。

 床へ倒れ込む。何が起きたのか分からないまま、腹へ衝撃。息が潰れる。蹴られたんだと理解する頃には、身体が床を転がっていた。

 痛い。

 いや、そんなものじゃない。

 骨が軋む。歯が割れる音がした気がする。視界が揺れて、立ち上がれない。

 少年は刀を使わなかった。

 ただ、無言でこちらへ近づいてくる。

 その顔を見て、私は初めて、本気で恐怖を感じた。

 怒っている。

 さっきまでの戦いとは違う。殺意とも少し違う。もっと原始的で、ぐちゃぐちゃの感情だった。

「ま、まっへ……」

 声がうまく出ない。

 少年の無言の拳が、また振り下ろされる。

 頬骨が砕ける感触。床に血が散る。髪を掴まれ、無理やり顔を持ち上げられる。そこへさらに拳。頭の奥で何かが潰れるみたいな音がした。

 なんで。

 なんで私が。

 私は悪くないだろ。

 悪いのは、あいつらで。

 猫で。

 小悪魔で。

 お前らが先に――

 腹へ蹴りがめり込む。胃液が逆流し、血と一緒に床へ吐き出された。

 少年の呼吸は荒い。けれど、止まらない。殴るたびに、その目の奥がさらに暗くなっていく。

 やばい。

 本当に死ぬ。

 私は震える手を床へ伸ばす。血溜まりへ指が触れる。

 まだ、残ってる。

 まだ使える。

「ぁ……ぁぁ……」

 喉が潰れて、言葉にならない。

 それでも私は、血へ指を沈める。

 影が滲む。

 黒い染みが、床の上でゆっくりと広がっていく。

 少年の動きが、一瞬だけ止まった。

 私は笑った。自分でも分かるくらい、壊れた笑い方だった。

「ざ……ざまぁ……みろ……」

 血が、止まらない。

 床へ広がる。

 影が、広がる。

 今までとは比べものにならないほど深く、暗い何かが、底の方で蠢いていた。

 重い。

 深い。

 なんだこれ。

 なんなんだよ、これ――

 影の奥で、何かが目を開いた。



デビルサマナー-完-






デビルサマナー 第六章(ダイジェスト)


 戦いの音を聞きながら、私は工場内を這い回り、ようやく緑色の回復薬を見つけた。傷は塞がり、再び歩けるようになる。さらに拳銃まで拾い上げた私は、もう十分だと思った。異能マスカレイドも今回で終わりにして、報酬だけ持って帰ればいい。

 戦いの音を頼りに現場へ向かうと、狼男もドレッドスピアーも倒れ、髪が桃色へ変わったサキュバスまで、少年に斬られるところだった。悪魔ども、みんな負けやがった。

 けれど、戦果が無かったわけではなさそうだ。私から見て少し斜め前の、やや離れたところに、負傷した少女が座り込んでいる。その横顔は、意識が朦朧とした様子だった。

 私は物陰から少女を狙い、拳銃を撃った。弾丸は胸を貫き、少女はそのまま倒れ込んだ。

 だが次の瞬間、少年がこちらを振り向いた。

 私は何発も銃弾を撃ち込む。しかしなぜか少年の傷は瞬く間に塞がり、止まらない。弾切れになった瞬間、少年は目の前まで迫り、私は何度も殴りつけられ、打ちのめされた。

 私は悪くない。悪いのは猫妖精や悪魔どもだ。そう思いながらも、血溜まりへ手を伸ばす。

「ざ……ざまぁ……みろ……」

 血に濡れた影が、今までになく深く広がる。

 その底で、何かがゆっくりと目を開いた。

――完全版は、アプリ内で。




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執筆者: 花岡慧宙
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