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異能マスカレイドDW

カイの記憶

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戦姫の幻影 第一章


 腐葉土が厚く積もる湿った獣道を、ずんずん進むお姉ちゃんの背中を、ぼくは必死に追いかける。

 桃色の長い髪は、毛先に少し癖があり、歩くたびにふわふわ揺れていた。その髪は、施設の子供たちの中でも、妙に目立っていた。

「もう戻ろうよ」

 ぼくは言った。しかし、お姉ちゃんは振り返らない。

「なんかこっち、気になるんだよね」

 そう言って、薄暗い森の中をさらに奥へ進んでいく。

 少し前までは、遠くで他の子供たちの騒ぐ声が聞こえていた。しかし今は、風の音さえほとんど聞こえない。

 不意に、お姉ちゃんが立ち止まった。

「……ねえ、これ」

 ぼくも足を止める。

 木々の隙間の向こう側が、淡く紫色に光っていた。

* * *


 ぼくがその施設に来たのは、雪が少しだけ残っている頃だった。

 どうしてここに来ることになったのか、細かいことはよく覚えていない。大人たちは色々話していた気がするけれど、ぼくには難しくて、途中から聞くのをやめていた。ただ、前にいた場所には戻れなくて、気づいたらここにいた。

 施設は、山の近くにある古い建物だった。壁はところどころ汚れていて、廊下を歩くと床が軋む。古い暖房機は変な音を立てたし、雨の日は、どこかから湿った匂いがした。

 子供は思っていたより多かった。ぼくより小さい子もいるし、お兄さんお姉さんもいる。みんな普通に話していて、遊んで、喧嘩して、また普通にしていた。

 ぼくは、その中に混ざるのが少し苦手だった。

 別に、一人が好きというわけじゃない。でも、どうやって入ればいいのか、よく分からない。誰かが笑うと、とりあえず一緒に笑ってみる。みんなが静かなら、自分も静かにする。そうしていると、あまり怒られなかった。

 昼ごはんのあと、みんなが食堂で騒いでいる中、ぼくは一人で廊下に出た。

 窓の外では、風に揺れた木の枝がカサカサ鳴っている。山の近くの施設だからか、窓を開けると土と草の匂いが強かった。

 廊下の奥には、院長室がある。

 そのさらに奥に、古いトイレと洗面所があった。小さい子は、院長室の前では騒がないように言われている。別に怒鳴られるわけじゃないけれど、みんなそこを通る時だけ、少し静かになる。

 ぼくも、なんとなく静かに歩いた。

 用を済ませて戻ってくると、ちょうど院長室の扉が開いて、中から、お姉ちゃんが出てくる。

 桃色の長い髪が、蛍光灯の白い光を受けてぼんやり光って見えた。

「あ、いた」

 お姉ちゃんは、ぼくを見ると少し笑った。

「あんた、たしか前に、ハサミなくしたって言ってたでしょ? ま、もののついでだし、これ、あげる」

 お姉ちゃんがスカートのポケットに手を入れる。

 出てきたのは、前にぼくがなくしたものと同じくらいの大きさの、小さなハサミだった。桃色の柄の上には、黒いコウモリの羽みたいな飾りまでついている。

「どう? 可愛いでしょ。ちょっとオシャレしてみた」

 ぼくはお礼を言って、それを受け取った。

 なんだか変なデザインだったけれど、お姉ちゃんがくれたものだし、今度はなくさないようにしよう。ぼくはハサミを、自分のポケットにしまった。

 施設の子供たちは、みんなそれぞれ仲のいい相手がいた。

 走り回るのが好きな子は、いつも同じような子たちと騒いでいたし、カードゲームの強いお兄さんの周りには、よく人が集まっていた。

 ぼくは、そういう輪の中へ、自分から入っていくのが苦手だった。

 話しかけられれば普通に話す。でも、自分から入っていくのは難しい。何を言えばいいのか、よく分からなくなる。

 だけど、お姉ちゃんだけは少し違った。

 お姉ちゃんは、ぼくが一人でいるのを見つけると、急に「行こ」とだけ言って、どこかへ連れていくことがあった。

 裏山だったり、使われなくなった物置だったり、施設の裏の古い自販機だったり。行き先に意味があるのかは、ぼくにはよく分からなかった。

 それでも、お姉ちゃんについて歩いている時間は、なんとなく楽だった。

* * *


 その日は、施設のみんなで遠足に行く日だった。

 空は朝から薄曇りで、山の方には白い霧がかかっていた。

 施設の前には、小さい子供たちの騒ぐ声が広がっている。リュックの中のお菓子を見せ合う子もいれば、虫取り網を振り回して先生に怒られている子もいた。

 ぼくは、自分の小さな水筒をいじりながら、少し離れたところに立っていた。

「ちゃんと列を作って、離れないことー!」

 前の方で先生が大きな声を出す。

「山の奥には入らない! 勝手にどっか行かない! いいねー!」

 子供たちの返事は、半分くらいしか揃っていなかった。

 目的地は、施設から少し離れた山の中にある広場らしかった。昔はキャンプ場みたいな場所だったらしいけれど、今はほとんど使われていない、と先生が言っていた。

 列の中から桃色の髪を探すと、少し前の方に、お姉ちゃんはいた。先生の話なんてほとんど聞いていない顔で、ぼんやり森の方を見ている。

 やがて出発すると、子供たちは細い山道をぞろぞろ歩き始めた。

 山の空気は湿っていて、歩くたびに土の匂いがした。木々の隙間から差し込む薄い光が、地面の落ち葉をまだらに照らしている。

 しばらくは賑やかだった。

 誰かが転び、誰かが笑い、前の方では先生が何度も「押さない!」と怒っている。

 けれど、途中から、お姉ちゃんは少しずつ列の端へ寄っていった。

 ぼくは、それをなんとなく目で追う。

 お姉ちゃんは立ち止まり、森の奥を見ていた。

「……ねえ」

 小さく手招きされる。

 ぼくは周囲を見回した。みんな前の方を見て歩いていて、こっちを気にしている人はいない。

 ぼくがお姉ちゃんのところまで行くと、細い指が森の奥を指さした。

「なんか、あっち変じゃない?」

 言われて見る。

 木々の隙間の向こう側だけ、妙に暗かった。

 曇っているせいかとも思ったけれど、それとは少し違う気がする。

 お姉ちゃんは、少し楽しそうに笑った。

「ちょっとだけ見に行こっか」

* * *


 腐葉土が厚く積もる湿った獣道を、ずんずん進むお姉ちゃんの背中を、ぼくは必死に追いかける。

「もう戻ろうよ」

 ぼくは言った。しかし、お姉ちゃんは振り返らない。

「なんかこっち、気になるんだよね」

 そう言って、薄暗い森の中をさらに奥へ進んでいく。

 少し前までは、遠くで他の子供たちの騒ぐ声が聞こえていた。しかし今は、風の音さえほとんど聞こえない。

 不意に、お姉ちゃんが立ち止まった。

「……ねえ、あれ」

 ぼくも足を止める。

 木々の隙間の向こう側が、淡く紫色に光っていた。

 霧みたいな光だった。森の奥に、ぼんやり穴が開いているみたいに見える。

 近づくにつれて、周囲の音はさらに薄くなっていった。虫の声も、風で葉が揺れる音も聞こえない。ただ、自分たちの足音だけが、湿った地面の上に小さく響いている。

 お姉ちゃんは、何かに引っぱられるみたいに、その光へ近づいていく。

「……なんだろ、これ」

 その声は、怖がっているというより、珍しいものを見つけた時みたいな響きだった。

 紫色の光の中心は、近くで見ると、空気そのものが揺れているように見えた。水面みたいにゆらゆら歪んでいて、その向こう側には、こっちの森とは違う色がぼんやり見えている。

 ぼくは急に怖くなった。

「やっぱ戻ろうよ」

 そう言いながら、お姉ちゃんの服の袖を掴む。

 お姉ちゃんは少しだけ振り返り、困ったみたいに笑った。

「でもさ、これ、絶対変じゃない?」

 そう言って、また紫色の光を見る。しばらく迷うみたいに黙っていたけれど、結局、お姉ちゃんはそっと手を伸ばした。

「あんたは、戻ってて」

 指先が光に触れた瞬間、紫色の揺らぎが大きく広がった。

「え――」

 お姉ちゃんの身体が急に前へ引っぱられる。桃色の髪がふわりと浮き、次の瞬間には、その姿ごと光の中へ吸い込まれて消えた。

 ぼくは、その場で固まった。

 頭の中が真っ白になる。何が起きたのか、よく分からない。ただ、さっきまでそこにいたお姉ちゃんが消えてしまった。

「……お姉ちゃん?」

 返事はない。紫色の光だけが、静かに揺れている。

 怖かった。先生を呼びに行った方がいい気もした。でも、そうしている間に、お姉ちゃんがどこかへ行ってしまう気がした。

 ぼくはしばらく迷ったあと、ゆっくりと紫色の光へ近づいていく。

 光の前に立つと、柔らかい風みたいなものが頬を撫でた。

 ぼくは小さく息を飲み、そのまま一歩前へ踏み出した。



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戦姫の幻影 第二章


 紫色の光を抜けた瞬間、ぼくは思わず地面に手をついた。

 空気が違った。

 湿っているのに、森の匂いが薄い。代わりに、花みたいな甘い匂いが混ざっている。頭の奥が少しふわふわして、身体が軽くなったみたいな感覚があった。

「うわ……」

 お姉ちゃんが、小さく声を漏らす。ぼくも顔を上げた。

 そこに広がっていた森は、さっきまでいた場所と似ているのに、何もかも違っていた。木々は青紫色を帯び、枝葉の隙間では、小さな光がふわふわ浮かんでいる。草花は妙に大きく、見たことのない形の花が、暗い森の中でぼんやり発光していた。

 遠くの方では、水みたいな音が聞こえる。柔らかく肌を撫でる風は、冷たくはないのに温度を感じない。

「……なにここ」

 ぼくは小さく呟いた。

 お姉ちゃんは返事をしなかった。その代わり、目を輝かせながら周囲を見回している。

 怖くないんだろうか。

 ぼくは、さっきまでいた山へ戻る紫色の光を探した。でも、振り返っても、そこにはもう何もない。

 急に胸の奥が冷たくなる。

「ねえ、戻れないんじゃ……」

「大丈夫でしょ」

 お姉ちゃんは、あっさり言った。

「たぶん」

 全然大丈夫そうじゃなかった。

 ぼくは不安になりながら、お姉ちゃんの後を追う。

 しばらく青紫色の森の中を歩いていると、不意に、ガサガサ、と草をかき分ける音が近づいてきてた。

 次の瞬間、小さな影が茂みから飛び出してきた。

「ふにゃああっ!」

 茶色の猫だった。ただの猫じゃない。背中から、透明な羽が四枚生えている。

 猫はそのまま地面を転がるように飛び込んできて、ぼくらの後ろへ隠れた。

「た、助けてっ!」

 その直後、森の奥から、細長い黒い影が現れる。

 背の高い男だった。異様に痩せている。黒ずんだ皮膚が骨に貼りついていて、顔はドクロを思わせる不気味な白面に覆われていた。細長い腕には、大きな槍が握られている。

 男は、喉の奥でキキッ、と変な鳴き声を漏らした。

 ぼくは、身体が固まった。

 あれは、人間じゃない。見た瞬間に分かった。

 お姉ちゃんの表情が変わる。

「……悪魔」

 小さく呟いた声は、さっきまでより少し低かった。

 男が、槍を引きずるみたいにしながら、一歩近づいてくる。背後に隠れていた羽つきの猫が、「ひっ」と小さく震えた。

「耳を塞いでて」

 お姉ちゃんが前へ出る。

 パァン!

 乾いた破裂音が、森の中に響き、男の肩が弾け飛んだ。細長い身体が大きくよろめく。

 ぼくは、息を呑んだ。

 お姉ちゃんの右手には、いつの間にか、黒い拳銃が握られていた。

 そのまま続けて引き金を引く。

 パン、パン、と短い音が立て続けに響き、男の身体に穴が開いていく。それでも、悪魔は倒れなかった。

 キキィッ、と耳障りな声を上げながら、槍を振りかぶる。

「うわっ――」

 ぼくは思わず後ずさったけれど、お姉ちゃんは逆に距離を詰めて、悪魔の白面に銃口を押し当て、撃ち抜いた。

 細長い身体がゆっくりと後ろへ倒れ、森が、一瞬静かになる。

 ぼくの心臓だけが、やけに大きな音を立てていた。

「だ、大丈夫……?」

 羽つきの猫が、おそるおそる顔を出す。

 お姉ちゃんは、まだ油断しないまま周囲を見回していた。

「……たぶん。でも――」

 そこで、お姉ちゃんが言葉を止める。

 遠くの森の奥から、また別の鳴き声が聞こえてきた。

 キキッ。

 キキキッ。

 鳴き声は、一つじゃなかった。

 森の奥の暗がりが、不自然に揺れている。木々の隙間から、細長い影がいくつも見えた。

 お姉ちゃんは、小さく舌打ちをすると、右手の拳銃を構えたまま、左手でぼくを後ろへ押しやる。

「下がってて」

 そう言った直後、森の中から二体の悪魔が飛び出してきた。

 細長い腕。白い仮面。槍を引きずる音。

 キキィッ!

 お姉ちゃんは迷わず発砲した。

 乾いた音が連続して響き、一体の頭が吹き飛ぶ。けれど、もう一体は止まらない。槍を振り上げたまま突っ込んでくる。

「ふ、フランマっ!」

 ぼくらの後ろにいた羽つきの猫が、涙目のまま両手を突き出した。

 小さな火球が飛ぶ。

 火球は悪魔の肩にぶつかり、ぼん、と小さく爆ぜた。

 威力は大したことなかった。でも、その一瞬だけ悪魔の動きが止まる。

 お姉ちゃんは、その隙を逃さなかった。

 至近距離まで踏み込み、悪魔の胸を撃ち抜く。

 キキッ。

 また鳴き声が聞こえた。

 次から次へと現れる白い仮面を見て、ぼくは、自分だけ何もできないことに気づく。

 お姉ちゃんは戦っている。羽つきの猫だって、怖がりながら火を出している。ぼくだけが、後ろで見ているだけだった。

 胸の奥が、ぐちゃぐちゃする。

 その時だった。

 お姉ちゃんの後ろ。木の陰から、一体の悪魔が音もなく現れ、鈍く光る槍の穂先が、お姉ちゃんの背中へと突き出される。

「危ない――!」

 ぼくは叫びながら、咄嗟に右手を突き出していた。

 頭の中に浮かんだのは、さっきから何度も見ていた黒い拳銃の形だった。

 何かが、手の中へ流れ込んでくる。

 気づいた時には、ぼくの右手には、灰色の小さな拳銃みたいなものが握られていた。

 形は歪で、ところどころ欠けていて、プラスチックのおもちゃみたいだった。

 それでも、ぼくは無我夢中で引き金を引いた。

 パンッ、と小さな音が鳴る。

 飛び出した弾は、悪魔の腕に当たった。槍の軌道がわずかにズレる。

 お姉ちゃんが振り向くと同時に、本物の銃声が響き、悪魔の白面が砕け散る。

 悪魔が倒れるのを見届けると、ぼくは荒い息を吐きながら、自分の右手を見る。

 灰色の拳銃は、いつの間にか消えていた。

「……今の、なに」

 お姉ちゃんが聞いてくる。けれど、自分でもよく分からなかった。

 その時、遠くから別の足音が聞こえてくる。今度は、さっきまでの悪魔とは違った。

「銃声だ! こっちだ!」

「おーい! そこ、誰か戦ってるの?」

 まず、茂みをかき分けながら現れたのは、小柄なモグラみたいな生き物だった。ぼくよりさらに背が低い。けれど、両手で大きな金色の銃を抱えている。

 その後ろから、軽装の女の人が飛び出してきた。中学生くらいの背丈だけど、身体つきはずっと大人びて見える。

 二人は倒れている悪魔たちを見て、足を止めた。

「……なんだこりゃ」

 モグラみたいな生き物が、おじさんみたいな低い声で呟いた。

 その瞬間、羽つきの猫が泣きながら飛び出した。

「うわあああん! 怖かったぁ!」

「おっと!?」

 猫はそのままモグラのおじさんにしがみつく。

「この人たちが助けてくれたの! 悪魔を倒してくれたの!」

 モグラのおじさんは、しがみついてくる猫を片手で支えながら、倒れている悪魔たちを見回すと、肩をすくめる。

「……いや、倒しすぎだろ」

 軽装の女の人は、ぼくらを見ると、少し眉をひそめた。

「待って。この子たち……人間?」

 少し驚いたみたいに言う。

 お姉ちゃんは答えずに、黒い拳銃を構えたまま、ぼくの少し前へ出る。

「……そっちは、何?」

 女の人は、困ったみたいに肩をすくめた。

「質問したいのはこっちなんだけど? それとも何? 戦う?」

 女の人が、唐突にファイティングポーズをとり、ステップを踏む。

「おい待て、理由もないのに戦おうとするな。とにかく、うちの猫を助けてくれたんだろう? まずは感謝しよう。」

 モグラのおじさんが、女の人を諌めながら、落ち着いた声で話を続ける。

「見たところ、紛れ込んだ子供だな。珍しいが、たまにあるんだ。」

「……妖精界へようこそ。人間。」



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続く...

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執筆者: 花岡慧宙
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