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異能マスカレイドDW

サキの記憶

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不屈の少女 第一章


 私の力が、父を壊した。

 傷を塞ぎ、骨を繋ぐ――代償も痛みもない癒し。どんな怪我も治せるくせに、他人の身体の奥深くまでは届かない。他人の病気だけは治せない、そんな中途半端な力を、父は "奇蹟" と呼び、そして壊れていった。

* * *


 私は、死んで生まれるはずだったらしい。そう聞かされて育ったわけではないが、親戚の噂話や、父が酒に酔ったときに漏らす言葉をつなぎ合わせると、どうやらそういうことになる。出産は難航し、途中で状況が悪くなった。助からない可能性もあった――その程度の情報しか、私には残されていない。それでも私は生きていて、母も生きていた。その理由を、正確に説明できる人はいなかった。

 父だけが、その出来事を特別なものとして覚えていた。「お前は、生まれたときから違ってた」。それが父の口癖だった。何がどう違うのか、父は説明しなかったし、私も聞かなかった。

 幼い頃の私は、よく怪我をした。転び、擦りむき、ときには深く切ることもあったが、治りが異様に早かった。翌日には塞がり、数日後には跡すら残らない。それが普通なのか異常なのか、私には判断がつかなかった。そもそも私は、痛みを覚えていなかった。怪我をしても、周囲が騒ぐから「大変なことらしい」と理解するだけで、自分の中にはそれに対応する感覚がなかった。

 美術の授業で、彫刻刀を使っていたときのことだった。隣の席の子が手を滑らせ、指を切った。大した深さではなかったが、血はすぐに出て、教室がざわついた。先生が呼ばれ、誰かが保健室に行こうと言った。私は、その子の手を見ていた。切れた場所と、そこから流れている血だけが、やけにくっきり見えた。

 気がつくと、私はその子の指に触れていた。止めようとか、治そうとか、そんな意識はなかった。ただ、そうするのが自然だと思った。私にだけ見えている淡い緑色がかった光が、傷口に沿って静かに動く。しばらくすると、血が止まり、赤く開いていたはずの傷口が、ほとんど分からなくなった。周りが静かになり、先生は私の手をゆっくり離した。その後のことは、よく覚えていない。

 家に帰ると、その話はすでに父の耳に入っていた。どこまでが事実で、どこからが誇張だったのかは分からない。ただ、その日を境に、父の目つきが変わった。

 私は子どもではなく、確かめるべき何かとして見られるようになった。私が何らかの拍子に怪我をしても、少しするとそこには何も残っていないのを確かめると、父は、必ず同じことを聞いた。

「どうやってる」

 答えようがなかった。それは、意識してやっていることではなかったからだ。母はその話題を避け、父と私の間に割って入ることが増えた。

 それからしばらくして、父は家に人を連れてくるようになった。最初は知り合いだった。仕事仲間や、近所の人間。転んで擦りむいたとか、包丁で指を切ったとか、そういう軽い怪我をした人ばかりだった。

 私は、呼ばれるままに居間へ出された。父に言われて、傷に触れた。結果はいつも同じだった。血は止まり、傷は塞がった。驚く声が上がり、感謝され、父は満足そうに頷いた。「すごいだろう」「この子は特別なんだ」。そう言って、私のことを説明した。

 回数が増えるにつれて、連れてこられる人も変わっていった。知り合いではない顔が混じるようになり、話の内容も少しずつ重くなった。何を治してほしいのかより、私に何ができるのかを聞かれることが多くなった。それでも父は、「大丈夫だ」「お前の力は、神様が与えてくれた奇蹟だ」と繰り返した。

 母は、その場にいないことが多くなった。理由をつけて台所に下がったり、外へ出たりした。私と目が合うと、何か言いたそうにして、結局何も言わなかった。

 私は、そこに立っているだけだった。頼まれれば触れ、終われば部屋に戻った。自分が何をしているのか、よく分からなかった。ただ、父の声が少しずつ変わっていくのは分かった。人に向けて話しているときの声と、私に向ける声が、同じになっていった。

 いつからか、父は人を帰すときに、封筒を受け取るようになった。最初は断っていたはずなのに、気がつくとそれが当たり前になっていた。「気持ちだ」「受け取らないほうが失礼だろう」父はそう言っていた。

 その頃から、父は仕事の話をしなくなった。朝、家を出る時間も曖昧になり、代わりに人が来る時間を気にするようになった。いつの間にか、父は元の仕事を辞めていた。

 そんなことを繰り返すうちに、力の限界も見えてきた。私は、怪我であれば大抵のものは治せると思っている。工場の機械に潰されて手を失った男性が来たことがあった。これは無理かもしれない、と思ったが、やってみれば問題はなかった。失われた手を、生やすことさえできた。

 けれど、他人の体の内側で起きている異変には、どうすることもできなかった。軽い風邪ですら、治すことはできない。自分自身にはもっと深く力が届いている感覚があるのに、それを他人に対して行うことは、どうしてもできなかった。

 その少し後から、母の様子が変わり始めた。疲れやすくなり、仕事を休む日が増え、外に出ることが減っていった。最初は年のせいだと思っていたし、母自身もそう言っていた。けれど、その変化は戻らなかった。私は、治そうとした。それが自分にできることだと思ったからだ。何度も触れ、何度も集中したが、何も変わらなかった。私の力は、母の身体には届かなかった。外側の傷は塞げても、内側から壊れていくものには、どうすることもできなかった。

 父は、その事実を受け入れられなかった。「前はできただろ」「生まれたときも、そうだったじゃないか」。その言葉は、次第に命令になり、祈りになり、やがて怒りに変わっていった。母が亡くなった日、父は泣かなかった。ただ黙って私を見ていた。まるで、答えを探すように。

 それから父は、少しずつ壊れていった。家は荒れ、庭は放置され、生活の形が崩れていった。酒の匂いが増え、言葉は荒くなり、私に向けられる視線には、期待と憎しみが混ざるようになった。父は私の力を信じ、その力に裏切られた。そして、信じていたものが壊れたとき、父自身も壊れていった。それが、私の知っている家庭の終わりだった。



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不屈の少女 第二章


 父は、金属バットを持っていた。

 いつからそこにあったのかは分からない。ただ、それが叩くための道具であることだけは、はっきりしていた。

 父の視線は私に向いているようで、実際には別のものを見ていた。私の顔ではなく、答えを探しているような目だった。

 ここで何を言っても、意味はない。私は動かず、声を出すことにした。

「もう嫌!わああああ!!!」

 喉から出た音は、少し大きすぎた。けれど、それでよかった。音は家の中に響き、外へ漏れた。怒鳴り声と混ざり、悲鳴のように聞こえただろう。そう聞こえる必要があった。

 父は、その音に反応した。私を黙らせるように、金属バットを振り上げる。

 誰も来なければ、それまでだ。その一撃を受けることも、選択肢の一つだ。そう思って、私は動かなかった。

 次の瞬間、窓が割れた。

 冷たい夜風が一気に流れ込み、室内の空気が入れ替わる。父の動きが止まり、視線が私から外れた。

 知らない男が立っていた。

 夜の外側を、そのまま引きずり込んできたような男だった。筋骨隆々の長身に、酒気を帯びた赤ら顔。暴力の気配を、そのまま形にしたような存在だった。

 理解よりも先に、父の身体が動く。

「誰だ、お前……!」

 怒鳴り声と同時に、父は男に向かって金属バットを振り下ろした。迷いはなく、ためらいもない。それは、私に向けられていたものと同じ軌道だった。

 ――当たる。

 そう思ったが、男は、振り下ろされる寸前のバットの先端を、片手で掴み取っていた。

 男はバットを軽くひねり上げて奪い取る。そして躊躇なく、その柄の部分を父の脇腹へ横薙ぎに叩き込んだ。

 鈍い音が響き、父の身体が床に叩きつけられる。呻き声を上げながら、父は男を睨みつけていた。

「落ち着けよ」

 男は低い声で言った。

「その子は、あんたの娘か? 家族ってのは、仲良くするもんだぜ?」

 父は答えなかった。代わりに、呼吸だけが荒く続いていた。

 男は、手にしたままの金属バットを一度眺める。

 次の瞬間、音が鳴った。バキバキッ、と。耳に直接響くような、嫌な金属音。バットが、男の手の中で歪んでいく。曲がる、というより、押し潰されているようだった。細長かったそれは、抵抗する暇もなく形を失い、丸く、塊へと変わっていく。野球ボールほどの大きさになるまで、そう時間はかからなかった。

 男は、出来上がった金属の球を床に放り投げた。鈍い音がして、それは転がり、止まった。

「こんなもんだ」

 男はそう言い、父に視線を向けた。

「俺を通報する気なら、どうなるか分かるよな?」

 それから、ようやく私のほうを見る。私は、縮こまったまま、転がる球を見ていた。男からは、泣いているようにも見えただろう。けれど、自分でも分かるくらい、視線は落ち着いていた。

 恐怖だけでは、なかった。

 ――私だけじゃない。

 初めて、自分以外の "異能" を見た。その事実が、遅れて、静かに胸の奥に沈んでいった。

* * *


 男が去ったあと、家の中は急に静かになった。割れた窓から夜風が入り込み、床に落ちた埃や紙くずがわずかに動いていた。父は倒れたまま、しばらく起き上がらなかった。

 私は、壁に背をつけたまま父を見ていた。近づく必要は感じなかった。父の呼吸は荒く、目だけが動いていた。私を見る視線には、さっきまでとは違う色が混じっていた。怒りでも、期待でもない。ただ、理解できないものを見る目だった。

やがて父は身体を起こした。何か言おうとして口を開き、結局、音にならないまま閉じた。

「……今日は、もう遅いので」

 自分の声は、思っていたより落ち着いていた。

「部屋に戻ります」

 父は何も言わなかった。止める言葉も、怒鳴る声もなかった。ただ、私を見ていた。

「今まで……ご迷惑をおかけしました」

 それが正しい言い方かどうかは分からなかった。ただ、そう言うのが一番、無難だと思った。

「お父さん」

 その呼び方を口にしたのは、久しぶりだった。

 私はそれ以上何も言わず、自分の部屋へ戻った。ドアは閉じたが、鍵はかけなかった。父の気配は、廊下に残ったままだった。

 その夜、父は私の部屋を訪れなかった。朝になっても、昼になっても、声はかからなかった。家の中には生活音だけがあり、会話はなかった。私たちは同じ家にいながら、互いに存在しないもののように過ごした。

 その間に、私は荷物をまとめた。時間は十分にあった。必要なものと、必要でないものの区別は、すでについていた。水色のナップザックは小さく、着替えと最低限の持ち物を詰め込むだけで、すぐに膨らんだ。

 玄関へと向かうとき、居間を一度だけ見た。父の姿はなかった。声をかける理由も、残っていなかった。

* * *


 家を出たのは、外がすっかり暗くなってからだった。引き戸を開けると、昼間とは違う冷たい空気が流れ込んでくる。私は水色のナップザックを背負い、外へ出た。思ったよりも重さはあったが、足取りが鈍るほどではなかった。

 数歩進んだところで、人影に気づいた。道の向こうから歩いてくる男がいる。心臓が一拍だけ早くなる。

 ――昨日の人だ。

 男は、私の姿を見て足を止めた。偶然通りかかった、というのが正しそうだった。狙って来たわけではない。その距離感が、少しだけ安心できた。

「昨日助けてくれた人ですよね?」

 私は先に声をかけた。思っていたより、声が硬かった。

「ありがとうございます。私...家出することにしました!」

 緊張を振り払うように言い切る。言葉にすると、状況がはっきりする。男は少し驚いた顔をしていたが、すぐに事情を察したようだった。視線が、私の背中のナップザックへと回る。

 私は、昨夜のことを思い出していた。金属が歪む音。形を失っていくバット。あの力が、どういう仕組みなのかは分からない。ただ、普通ではないことだけは確かだった。

「昨日のあれは、どうやったんですか?」

 私がそう言うと、男は少し肩をすくめた。

「気になるか?」

 私は、正直に頷いた。男は周囲を一度見回し、近くにあったパン屋のアルミ看板を引き剥がした。

 男の雰囲気がひと回り大きくなったかのような錯覚を覚える。

 次の瞬間、金属が、紙のように歪み、男の手の中で丸まっていく。

「……」

 私は眉をひそめた。

「それ、元に戻してください」

 男はきょとんとした顔をしたが、渋々という様子で、丸まっていた看板を引き伸ばした。完全には戻らず、シワだらけになった。男はそれを眺めて苦笑する。

 私は、その腕に視線を移した。男の腕には、目立つあざが一つ、くっきりと残っていた。昨夜の出来事を思い返しても、あれほどのものができる場面はなかった。別のところで負ったものなのだろう。

「その腕の怪我……ちょっと見せてくれますか?」

 男は訝しげに腕を差し出した。私はそこに手を当てる。意識を向けると、いつもの感覚が指先に集まる。淡い緑色がかった光が、腕のあざを薄く覆うようにわずかに滲む。それは、みるみる薄くなり、消えた。男が目を見開くのが分かった。

「私も、こんなことができるんです。」

 私は手を離した。

「これで何とか父の暴力に耐えてきましたが、そのせいで、少しずつエスカレートしていって...」

 私は何を言ってるんだろう。こんな男に、そこまで話す必要はないはずだった。男は、深くは聞いてこなかった。ただ、私の顔を改めて見ていた。

「私は、ちょっと離れた叔母さんのところに行きます」

 それだけは、なぜか伝えたかった。

「また会えるといいですね」

 男は少し間を置いてから、頷いた。

「ああ。まあ、機会があればな」

 男が背を向けたあとも、私はしばらくその場に立っていた。心臓の音が、まだ少しうるさい。

 水色のナップザックの重みを確かめてから、私は反対方向へ歩き出した。



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続く...

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執筆者: 花岡慧宙
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